祖父

父方の祖父の体調が芳しくない。元々体調が良くなく、歩くのも困難になったため2020年ごろから老人ホームに入居した。詳しい時期は覚えていない。 それが2022年1月26日に誤嚥性肺炎で入院してしまった。 誤嚥性肺炎と言うと母方の祖父の方もこれがきっかけで体調が悪化し、亡くなってしまったという過去がある。 そのため今回もとても嫌な予感というか、当時の胸のざわつきが想起された。

2月2日には肺炎は治った。しかし呼吸は思うように回復せず、呼吸器なしには生活できない状態になってしまった。呼吸器がないとダメ、ということはつまり食事もできないということだ。もう少し元気であれば胃瘻で栄養を取るという手段も取れたらしいが今は手術に耐える体力と逆流のリスクを鑑みたときに、もう点滴でしか栄養を摂取できないという。 高齢で血管がすでにボロボロということもあり、点滴を続けるにも限界があるという。

自分にとって身近な人の命の際(きわ)に遭遇するのは前述の母方の祖父に次いでの2例目となる。 幸いなことにふたりとも高齢ゆえのものなので、天寿を全うできていると言えるのだと思う。

母方の祖父のときも(重度のアル中故に)栄養失調により動けなくなり、しばらくの入院生活を経て亡くなった。当時は親の配慮からか、危険な状態だとかそういった情報は事前にはあまり来ず、唐突な訃報となった。 当時社会人1年目で仕事中だった自分は近親者の死というものにどう向き合えばいいのかわからず、夕方頃に訃報を受け取っても早退することもなく仕事を続けた。まだ現実感がなく悲しいとかそういう気持ちもなく、ただ頭がボーッとして考えがまとまらないということ、それ故、こういうときにどうしたらいいかわからないんです、と上司に伝えたことは今でも覚えてる。

2回目となりそうな今も全く同じ状況だ。まだ受け入れられていないだけなのだと思う。身内の不幸に泣けないなんて共感力が欠落しているんじゃないか、なんて思ったけど前もそうだったのだから。 前は対面した瞬間一気に現実を突きつけられ、涙が止まらなくなったのだ。亡くなる瞬間に居合わせた祖母や母はもうその儀式を済ませていた(また、今思えば心の準備もできていたのだろう)ので、自分が着いた頃には明るくケラケラと祖父の思い出話などで笑っていた。なんで笑えるんだと怒りながら言ったのも忘れられない。

今回、コロナ禍で過去最高の感染者が出ている状態にあるため病院での面会はできないという。そのため、もし亡くなってしまったとしても遺体に会えるかもわからない。葬儀をすることができるかも不透明だ。 様々なイベントを奪われ、コロナが憎いなんて話も耳にしたことがあるが、自分も初めてそれを少し感じることができた。 コロナをどこか自然災害のような、仕方のないことだと受け入れていた節がある。しかし、もし本当に別れを告げることもできないとしたら、初めて怒りを覚えるかも知れない。 でもその怒りのやり場はどこに向ければいいのだろう。コロナそのもの?対応が(結果的に)甘いと思える国?自治体?外出自粛をしない人? それでも一個人としてはこれ以上感染者を広めないために、自分自身が感染を防ぐことしかできない。やりきれない気持ちだ。

じいちゃんに会いたい。